忘れられた最初

『それはすべての始まりだった。
ある女性が大切な人をそっくりそのままこの世に呼び戻すために行った研究がある。
それは俗に言うクローン…複製の研究。
失ったものを取り戻そうと力の限り足掻いたその結果』


彼女は迷っていた。
見つめる先には生まれたばかりのような小さな赤子が、泣きもしないで静かに彼女を見返している。
その大きな瞳の片方は彼女と同じような明るい紫色。
そしてもう片方は海の底のような深い藍色だった。
「どうしてですの…？」
彼女は困惑した顔で呟く。
「どうして同じじゃないですの…」
赤子の面立ちは彼女のよく知っている少年のものとそっくりだ。
それなのに…その瞳の色だけが違う。
少年は澄んだ海のように綺麗な蒼い瞳を持っていた。
少し色素は濃いが、それはこの赤子の片目の色とよく似ている。
もう片方の瞳も同じ色であったなら…そうしたなら彼女は迷いなく赤子を抱きしめていた。
慈しみ微笑み、それこそすべての愛情を注いで赤子を育て上げただろう。
彼女の身を襲った呪いを一身に引き受け、わずか7才でこの世を去ってしまった少年の代わりとして。


赤子はやはり静かに彼女を見上げるだけだった。
その表情はありえないほど理知的で、まるで彼女の言葉を理解しているかのように見える。
そしてそれはどこか彼女のしていることを責めているようで…。
「そ、そんな目で見ないで下さいまし！」
彼女は思わず叫んで顔を背けた。
その視界に壁に掛けた1枚の絵が映り込む。
それは仲が良さそうな冒険者たちの絵だった。
彼女が人生のすべてを懸けて取り戻したいと願い、すべてを捧げてきた研究の元となるものだ。
「レオンさん…レンくん………」
彼女の唇から微かな声が滑り落ちた。
まだ当時７才だった少年レンは幸いにして身体は無傷で遺されていた。
彼女たちの盾となり最後まで戦いの場に残った戦士レオンに至っては、後から彼が泊まっていた部屋で探し出した髪の毛ひと筋しか残ってはいない。
レオンの複製は万に一つも失敗できなかったから、まず彼女が複製を試みたのは少年の方だった。
今までに何度も失敗を繰り返し、ようやく人の形に仕上げた初めての成功例。
しかしその赤子は……。
「これは…レンくんではありませんわ……」
自分はまた失敗してしまったのだ。
今までの失敗作はとても人ではなかったから、ほとんど躊躇うことなく無に帰してきた。
いや、この赤子とて人の形はしているが、結局は造られた物なのだ。
成長するにつれどのような変化を辿るか分かったものではないし、そもそもちゃんと成長するかも怪しい。
「やっぱり壊してしまった方が……」
彼女は沈んだ表情で赤子に向き直った。
赤子はそれまでもずっとそうしていたのか、やっぱり彼女を見ていた。
「え……？」
無意識にその瞳を見返してしまった彼女の口から戸惑った声が零れる。
静かに彼女を見据える紫の『両瞳』。
先ほど見たときは素体となった少年の欠片を宿していた瞳が、違うものに変わっていた。
「……どういうこと、ですの…？」
成功を望むあまり幻を見たのだろうか？
違う、と彼女の意識が告げている。だって何度も見つめたのだ。
もう片方の瞳さえ蒼だったならと。
「………私があなたを消しやすいよう、に…？」
何故だかそう思った。
そうでなくても髪の色や顔立ちはあの少年にそっくりなのだ。
いくら自分が造り出したものだと知っていても、それを手にかけることは…。
彼女はもう一度赤子の瞳を見た。
そこに浮かぶ色は嫌になるほど知っている。
諦めとその奥に隠された痛み。鏡を見ればいつもそこに見ることが出来るもの。
彼女はぎゅっと拳を握り締めた。
「……絶対諦めないですわよ」
この答えがどんなに間違っていても、取り戻すまでは足掻き続けるのだ。
彼女は赤子をそっと抱き上げた。
「あなたも見ているといいですわ」


『それがすべての始まりだった。
ある女性が大切な人間を甦らせようとした研究の過程で、望まず生まれた命がある。
それは俗に言うクローン…造られたもの。
自らの存在価値を求め足掻いたその結果……すべてが始まった』

レン・ラムリィ